2式戦闘機「鐘馗」

キー43とほぼ期を同じくして設計に着した戦闘機だが、空戦性能よりも速度上昇力に重点をおいて作られ、新進気鋭の操縦者には歓迎されたものの、多くの反対意見を浴びつつ出現した。中島では、かつてフランスからベジュー氏をよび、フランスの水冷発動機をつみ且つ20mm機関砲を搭載した試作銃戦(キー12)を作り、重戦の研究をしていたが、旋回性能の点でも空戦蝶型フラップの使用で、相当の自信をもつて当たった。構造的にはキー43と大差ない本機は、各務ヶ原におけるメッサーシュミットMe109との空戦性能比較テストの結果、「44も使えぬことはなかろう」との意見で、ついに採用された。

しかし、翼面荷重171kg/㎡(1型甲)~185kg/㎡(2型乙)という、伝統の軽戦主義から余りにも飛躍した高翼面荷重のため離着陸操作がむずかしく、熟練した操縦者出ないと使いこなすことが出来ず、折角の高速且つ上昇力を誇る本機ももて余し気味だった。

旋回性能は日本機の標準からみると香しくなく、高速旋回の際自転を起こしたり、失速速度も大きくて操作しにくかったが、中島自慢の蝶型空戦フラップ(離着陸用フラップと同じだが操縦桿上部にある押しボタンにより作動する)の採用により、面目を保っていた。
この空戦フラップは隼にすでに使用されていたが、実際はキー44重戦を目的として研究されていたものであった。空戦フラップの完成なくしてキー44の設計は自信をもつて始められなかったといっても過言ではない。

試作時代

明野陸軍飛行場で射撃性能試験を行った際、極めて優秀な命中率を示したが、これは横と方向の運動を結ぶ関係をなくし、別々のものにするという設計のい狙いが成功したもので、このため全巾の小さい上反角の比較的僅かな主翼と、小面積の垂直尾翼に思いきって大きな後モーメントアームを与えた組合せにより、本機独特の形状が生れた。

本機には多くの改造型があるが、試作型はハー41 1260HPをつみ、7,7mm、12.7mm機関銃各2挺の武装で、全巾 9.742m、全長8.793m、全高2.918m、全備重量2,571kgであった。生産型は1型乙からで、乙はハー109 1450HPに換装され、油冷却器を環状として発動機前面につけ、武装も12.7mm 4挺の2型乙が作られ、更に胴体に12.7mm 2挺、主翼に40mm 2門をつんだ2型丙も若干作られ、B-24の邀撃に戦果をあげた。しかし弾丸の重量が大きい割に初速がおそいためにいわゆる小便弾になり、命中率は概して悪かった。その後全備重量 2,886kg の3型が多少作られた。

青年将校の一部に人気があり、育てかた如何によっては充分使われたであろうが、着陸速度の大きいのと、三点姿勢における前方視界の不良によって、事故が多かった嫌いがあり、その当時としては世界に誇る性能を十分発揮出来ず残念だった。

実戦記録

本機が活躍したのは主として内地の防空戦闘においてであった。即ち本機は、東京防空に任じた第10飛行師団の飛行第47戦隊(成増飛行場)、飛行第70戦隊(柏)および京阪神の防空にあたった飛行第246戦隊(大正飛行場)に装備された。

昭和19年6月15日、中国大陸を基地とするB-29の北九州攻撃が開始されてから、飛行第246戦隊は山口の小月に転用された。さらに同年7月には敵の攻撃が南満方面に及ぶにいたったので、飛行第70戦隊は関東地区から鞍山に転用された。

昭和20年2月19日午後2時45分、約120機のB-29は東京上空に侵入したが、第10飛行師団はこの敵を邀撃して約10機を撃墜(その中体当たりによるもの2機)したが、この戦闘では若手の戦士がよく奮戦した。本機は当初、飛行時間1000時間以上の老練者でなければ戦闘が出来ないと言われたが、学徒兵の特別操縦見習士官第1期、2期出身者は、飛行時間200時間程度でこの飛行機を乗りこなし、高々度戦闘を敢行した。

タイトルとURLをコピーしました